by artelatino
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1933年に出版された谷崎潤一郎の陰影礼賛、まずフランス語に訳され、それがスペイン語に訳されています。
その三年前1930年の九鬼周造の『いきの構造』もまた、まずフランス語訳され、その後フランス語からスペイン語に訳されています。 たいていの日本文学はそういう仕組みで翻訳がなされているようです。 さて、訳あって、一応この2冊をスペイン語で読んでいるのですがいくつか気になる誤訳が。。。 (本文)昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。 (訳文)La superficie de las lacas ha sido negra, marrón o roja, colores estos que constituían una estratificación de no sé cuántas “capas de oscuridad”, que hacían pensar en alguna materialización de las tinieblas que nos rodeaban. この漆の肌というのは、「肌」という言葉をあえて使っているところに漆の触覚的美を感じさせるわけで、”美(時に視覚的なものさえも)を触覚的な言葉で表現する美意識が伝わる表現です。 ですがスペイン語ではLa superficie、つまり”表面”となっています。フランス語もきっと”la superficie”と同様のことでしょう。 日本の、「触る」文化を無視して訳したようです。残念です。 改めて翻訳の難しさを感じさせます。 #
by artelatino
| 2012-10-08 13:06
| アート
ちょっと写楽について考えていたら、 ギュスターヴ・クールベ〔Gustave Courbet〕のことを思い出した。 まだ調べてないので偉そうにいえませんが、、、写楽は、有名役者だけでなく脇役に興味を持った。 美化はせず、弱点はよりいっそう強調して醜く描いた。滑稽に描いた。 写実的に描くといっても遠近法とか、陰影をつけるとかそういう技法上のことではなくって、 印象に残る人物の持つ特徴を隠さず描いたというわけなのである。 だからプロマイドみたいに売れていた有名役者のポートレイト浮世絵みたいには人気がなかったようだ。 クールベもまた、写実性を重視する上に黄金率化していたアカデミーの技法的決まりごとにはお構いなく、 人物描写を素直に行った。だからクールベの描いた人物像の中には醜い人が結構居る。体系だって理想的なプロポーションに描きかえるのではなく、醜い、グロテスクな、ムチムチの脂肪をそのまま描いた。 芸術は変化する。変化を恐れない人が居るからだ。そして彼は変化の必然性を認識しているからだ。 かなりの度胸と自信がいるのだろう。 脇役だって主役になれる、ブスだって人間だ、そういう意識的な変化が、芸術を通して行われる。 それは、決して悲観的な現実描写ではなく、楽観的な現実描写だ。 それに、醜いものに対する愛着は今の時代にもある。 #
by artelatino
| 2012-09-16 07:10
| アート
以前テレビで見たことがあったのですが、忘れてもう一度レンタルして見てしまいました。 Wellcome to the dollhouse 1995年に製作のTodd Solondzによる映画です。ブスのせいで学校でもいじめられ、親からも大切にされない、でも傷つきはせず、無神経とくる。勘違いもはなはだしいし、自覚もない。 そういうブスでお馬鹿ちゃんを主人公にした、ストーリーはいたって平凡な映画なのですが、なぜか心にジーンとくる。元気を貰う。 世間の汚い権力にも、罵りにも負けない反骨精神を持ち、無神経のおかげで前向きに生きていられる。可愛いものはとことん嫌い、だから人形にも興味がない。でもスペシャルガールでいようとする。自分を嫌いになれない。 全体的なアグリー感を強調するごとく、映画のデコールがかなりキッチュ。90年代ならではの笑えるほどのレトロさやサイケデリックさを放出しまくっています。 出演者も美しく、取られている背景も美しく、その撮らえ方も美しい、そしてストーリーも質が高い、みたいな いわゆる映画の正反対をいく映画です。 出演者は不細工で、風景も普通の日常(普通の学校と超悪趣味の家)、普通の撮り方(時々ぶれたりする)、ストーリー性の低さ、いわゆるアーティスティックな基準からすると美しいとは言えない映画。そう、Le film kitsch/キッチュな映画なのです。この映画のパラドックスはそこにあるのです。 感覚的に醜いものから、心象には美しい残像を残すのです。 ビデオクラブの兄ちゃんも絶賛だったな。 #
by artelatino
| 2012-09-03 08:57
| 映画
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